しもやけになるのが怖い

どうしてあんなメールがきたんだろう?私は会社の更衣室で週末に買ったハニーズのチュニックから着古したユニクロのボーダーのシャツとダウンジャケットに着替えながらため息をついた。ハニーズのチュニックは今日おろしたてのおニューだった。おニューを着た日はいいことが起こるジンクスがあるのに、神様の意地悪。作業場に入ったら後輩の山口ちゃんはすぐに気付いてくれた。「可愛い!プチプラに見えないです!」そう言って笑い合っていたのに、神様の意地悪。

最寄り駅に着き、近くの保育園に息子を迎えに行く。3年頑張ってくれているアネロのリュックをガタついたカゴに入れて。アネロも頑張ってる、私も頑張ってる。それじゃダメなの?どうしてあんなこと書いてくるの?

保育園で息子の汚れ物を受け取る。トイトレをまだまだ頑張らないといけない。「いのうえ こうき」私が書いた息子の名前が目に入る。どうしてあの人はこれを否定するんだろう?何か悪いことをした?私が何かしましたか?

ママチャリの後部に息子を乗せる。このママチャリは娘が生まれてから私の両親がお祝いで買ってくれた。そういえば息子が生まれたときはこういうお祝いはなかったな。ふと心にすきま風が吹いた気がして私は首を振った。きっと冬が近づいているから。袖口に夕方の風がスッと入ってきてしまっただけ。「ママ!ライフにいく?ポテトたべたい!」息子が話しかけてきた。「よるよー!ポテト食べようねー!」私は明るく返事してママチャリをこぐ。なんでこれを否定するの?どうして?

ライフについて買い物をする。息子が低い位置にディスプレイされているナガノパープルをフィルム越しにツンツンとつついた。「あ!こらー!いけないよー!」私は咄嗟に息子の手をとって下に下げる。隣の初老のおばさんが私達をジッと見ていた気がした。そんなに見なくてもいいじゃない?子供がやることでしょ?私だってすぐに手をどかさせた!文句ある?

…あれ?今何時だっけ?私は食器洗いの手を止めてシンク上にある給湯器のモニターで時間を確認した。22時半。息子を寝かしつけてから1時間経ってる。寝かしつけてから何してたっけ?夫が帰ってきて、夫の分のご飯をテーブルに並べた。夫がご飯を食べている間、私は今日あった出来事を矢継ぎ早話して聞かせた。「~っていうことがあって!失礼だよね?私の何を知ってるっていうの?子育てやママチャリをバカにしてくるなんて、頭のおかしな女だと思わない?うちの花屋はオシャレな雰囲気だからあなたのメルマガで買う気をなくすって失礼だし、ひどい!職場でこの話をされた時、泣きそうになっちゃった。山口ちゃんが気にしないで良いですよーって庇ってくれたの。あの子優しいからー。」夫はうんうん頷いていたけど、食事が終わったらすぐに席を立って、「風呂入ってくるね」と言い残し、お風呂場にいってしまった。夫は30分以上経ってるのにまだ出てこない。きっとお風呂のテレビでYouTubeを見てるんだ。この家を建てたときに夫が唯一言ってきた希望が「風呂場にテレビがほしい」だった。私はどっちでも良かった。夫の方が返済額が多いから、多少奮発して風呂場にテレビをつけた。あのテレビももうそろそろ替え時なのかな?最近はどの家電も物価高で値上がりしてる。買い替える時一体いくらになるんだろう?

その時、スマホの通知が鳴った。最近会っていない高校時代の友人かと期待して画面を開いたら、ガストのメルマガだった。なんだ、ガストか。期待させないでよ!そう思ってちょっと胸が苦しくなった。怒る必要ないじゃない。私はあのクレーマーと違って自分の機嫌は自分で取れる大人なんだから。ガストには感謝してる。ちょうど次の週末は子供を連れてどこに行こう?と考えた時にメルマガが届くから。ガストはいつも行くららぽーとから家への帰り道にある。駐車場が広くて停めやすいと夫が笑うガスト。そんなガストの何がいけない?

洗い物が終わった。私はスマホを手にとり、会社のメールから転送した…意地悪なクレームのメールを開いた。

件名:メルマガのスタッフ井上さんの個人的なバウンダリー侵害が不快で買う気が起きない。

内容:井上さんのメルマガは^^や♪やお子さんのホッコリエピソードが載っており、「生活感」「安っぽさ」「チープな内輪ノリ」が漂い、せっかくの花の洗練された世界観が台無しになります。それなりの金額を出して花を買う時に、そこら辺にいる子育て主婦の手芸品みたいなブランディングがされた商品を買いたくなりません。井上さんがメルマガ担当である限り、ここで買い物をしようとはならないと思います。不良品が混ざってても「あ、ごめんなさーい!子供がぐずっちゃったんです!」って言ってきそう。謝ってんのか言い訳したいのかどっちだよっていう。子育て主婦がヨダレ垂らしてる子供を横に置いて夕飯の買い物を考えながら花を束ねていそう。山積みになった花をツンツンしないように廉価版のタブレットを観させていそう。子供向け番組が大音量で流れている空間で私に発送する花束を作っていそう。ママチャリのヘルメット横に置いて作業していそう。本当にこうだろうという事を言いたいのではなく、井上さんのメルマガからはこういう雰囲気が漂ってきますという比喩表現です。家に飾るオシャレなお花を買いたいのに、わざわざ主婦のハンドメイド(ママ友の内職ハンドメイド)みたいなものを選ぶことはないという意味です。

心がチクっとしてからカッと熱くなる。私は子供を職場に連れて行ったりしない。息子のハロウィンの時の写真を見せた時に山口ちゃんやアルバイトの子たちは息子に会いたいと言ってくれたけど、笑って「ありがとう!息子も会いたがってるから、喜ぶと思う!」とだけ言った。手持ち無沙汰な息子を職場に連れてきたら花をいじってしまうくらい素人に指摘されなくてもわかる。職場にママチャリのヘルメットを持ち込んだりしないし、息子が来ていないんだからタブレットだってアネロのリュックにしまったまま更衣室のロッカーに入れてある。晩御飯の事を考えることはあるけど、それと職場の花束は別物でしょ?毎日朝から晩まで頑張ってる。クレーマーはこんなに頑張ってないでしょ?子育てしながら頑張ってるの!子育て主婦の何が悪い?それにどうしてママ友の内職ハンドメイドって言うの?私はここにアルバイトで入社して叩き上げで正社員になった。産休育休を経て職場復帰したときはみんなが温かく「おかえり」と言ってくれた。復帰してからはアルバイトの出勤状況を見つつ商品出荷を管理したり、新しく任されたメルマガを頑張ってる。いつもみんなに「これでどうかな?おかしいところはない?」と確認するけど、みんな「井上さんの優しさが伝わってきて素敵です」って言ってくれるもの。クレーマーは自分で花束を買いに行くこともしない怠け者だから、こんなに温かい言葉をかけてもらったことがなくて嫉妬しているんだわ、きっと。

風呂上がりの夫がキッチンに入ってきて私は現実に引き戻された。時計を見ると23時。お風呂に入って寝なきゃいけない。文句しか言わない誰かさんと違って、働き者の朝は早いのよ!

夫はリビングのソファでコップに入れた冷たい午後の紅茶を飲みながらスマホをいじっている。お風呂に入ろうとして私は自分のパジャマを朝のバタバタしている中で洗濯してベランダに干して取り込んでいないことに気づいた。急いで2階に上がり、ベランダの扉を開けた。寒い。こんな時間にベランダに出ることはないから、こんなに冷えるとは思わなかった。

干したパジャマは乾いているはずなのに、触れていると指先がジンと冷たくなっていく。あと一ヶ月もしたらクリスマスと年末だ。一年あっという間だった。こうやって私はこの街で暮らし、あの街の職場で花束を束ね、歳を重ねるのかな。子供たちのクリスマスプレゼントを買わないと。お年玉、今年も同じくらいもらえるかな?

私はメルマガで一生懸命サンタリースの作り方を紹介しただけなのに!こんなに寒いなんておかしい!

ああ、指が冷たい。